最近、FBでご活躍の吉野敏明医師の

素晴らしい記事をご紹介します。

40、50、、、自分の寿命が尽きるまで、

日々成長したいものです。

どんなに自分の出自、

育ちが辛く恵まれなくても

「自分で自分を良くするのだ」

と日々精進すれば

素晴らしい人生にしていくことが可能です。

確かに、親や環境に恵まれない

ということは人によっては

あります。しかし、

それをいつまでも嘆いていても

何も変わりません。

 

自分しか、自分を良くすることは

出来ないのです。

他人にはあなたを良くすることは出来ないし、

実はあなたを悪くすることも、

出来ないのです。

あなたしか、あなたを変えることは

出来ないのです。

さあ、立ち上がって、目の前のすべてに感謝して、

出会う人、事がらすべてに愛を与えよう。

愛を与えるとは、目の前の人を笑顔にし、

起きる事柄に感謝して

すべて祝福に変える、

そんな素晴らしい行為です!

どんな過去があっても、私たち人間には

いつからでもそれが出来ます。

【9月8日 FB 吉野敏明先生 コメント欄より抜粋】

こういう風にして、

何でも人のせいにして陰口をいうと、

病気や事故に巻き込まれます。

その反対が、

いかなることも自分の責任だと思う人だ。

新コロも自分の責任、

環境問題も自分の責任、

もちろん

自分に降りかかることはすべて自分の責任だ、

と思える人は必ず誰かが助けに来てくれる。

ここで大事なのは。99%が自分の責任で

1%は誰かのせいだ、と思ってはダメ。

 

99.999999999…%でもダメ。

100.0000000…が自分のせいである、

と完ぺきに思う人にだけ、

救世主が現れるのだ。(吉野敏明医師の言葉)

(以下、フェイスブック

 9月4日吉野敏明先生の投稿よりコピー)

 

【よしりん講和 宿命と運命と立命を知る】

こんな一説を紹介します。

「…品かたちこそ生まれつきたらしめ、

心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。

かたち、心ざまよき人も、才なくなりぬれば、

品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、

かけすけおさるるこそ、本意なきわざなれ…(徒然草 第二段抜粋)」

これを現代意訳すれば、

『その人の出自と見た目(性別や生まれた日なども含めて)は、

生まれ持ったものでそれは宿命であって変えようがない。

でも、心は賢く賢くありたいと努力すれば、

必ず変わっていくものである。

美男美女で心が奇麗な人であっても、

自分の心の成長を怠れば、みるみる堕落して

ダメ人間になってしまうのは、残念なことである…』

小学生までは「皆さん、おはようございます、

先生おはようございます」と大きな声で言っていたのに、

社会人になると、嫌いな人は避けて挨拶をしないようにする。

幼稚園では、みんなでゴミ拾いをしたのに、

大人になったら吸殻を道に捨てる。

3歳までは、人間は仏教でいうところの宿命

(宿された命)で生きていますが、

二十歳くらいまでは運命(親や環境で運ばされる命)

で行きます。なので、人種が日本人でもアメリカで育てば、

英語しか話せない人間になるのが運命です。

30歳では立命(この価値観で生きる、と命を立てること)

しますので、少しくらいはウソついてもいい、

少しくらいは遅刻をしてもいい、少しくらいはズルしてもいい、

と立命してしまうと、どんなに世界の頂点を極めても、

あっという間に滑落してダメな人生になります。

 でも、1日たった1ミクロンでも、0.00001ミクロン

でもよいから心の成長をしたい、と思って立命を迎えた人は40歳、

50歳になったときにとてつもない成長を告げます。

これが、孔子の『40にして惑わず、50にして天命を知る』です。

 30歳まででは、天賦の運動神経、

筋力などの体力、知能、知識、偏差値などの頭脳、

そして親が金持ち、親が芸能人、親が政治家などの

恵まれた家庭環境、この三つの勢いで簡単に世界一になったり、

偉くなったり、金持ちになったりますが、

①人生哲学②尊敬される能力③高い倫理観の三つ

がないと、一気に下り落ちます。

 覚醒剤でダメになった一流奈落に落ちた

野球選手や芸能人、性的問題で辞職した県知事や

財務省事務次官、裏口入学をあっせんした高級官僚

も我が世の春から一気に地の底におちて辞職どこころか、

自殺してしまう人すらいます。

 大抵、世界を極めるなど一世風靡した人が

奈落に落ちるのが、30代~40代が多いのも、

孔子がいっている通りなのです。

 我々庶民も「もう、ここまで来たのだから

努力しなくていい」「これだけ私はエライのだから、

多少悪いことしてもいい」と考える方はいます。

兼好法師の『本意なきわざなれ』です。

 山の行より里の行。

 山では、エレベーターもエスカレーターも

ないので自分の足で上り、、

水道もないので安全そうな場所の

川や水たまり水を飲みます。

 大自然ですから、自然に鍛え、

警戒心や洞察力を自然に生かしますす。

そう、なんの努力をしなくても、自然に行ができてしまうのです。

 しかし、本当に心が強い人は、里で行をします。

 エスカレーターがあるのに、階段を上る。

電車の椅子があいていても、

自分の足で立つ。

本当に化学薬品や添加物がはいっていないのかを

見極めて食事を取る。

 実は、大都会で便利な所にいる人こそ、

大自然で行を積むよりも、

はるかに精神性の高い行を積むことが可能なのです。

 その代わり、大都会では

ダメな人はより堕落してしまいます。

 そう、大都会にはダメな人間と

精神性の高い人間の二種類しかいないのです。