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『誰もが経験する可能性があること』
”親や、身近な人の介護と死”
である。

いつまでも元気でいてくれる
ような気がするが、
必ずその日は訪れる。

突然、くるときもあるし、
徐々にやってくることもあるだろう。
私の場合は、突然訪れた。

・・・しかしながら、予想し
覚悟を決めていたことだった。

【育ての親・祖母が】

2006年、祖母の腎不全がわかった。
それは、予想外の病気だった。

当時、82才だったのだが、
年寄りだから、
定番の高血圧、脳梗塞とかかなと
そんなものかなと気楽にしていた。

しかしそんなもんではなかった。

「あと3年くらいの命」医師につめたく
そう告げられた。

名古屋から浜松まで、
何度も通って祖母の通院に付き添った。
ときには夜勤明けもあった。

どうしよう、
どうしたらいいのかと、日々悩んだ。

結局は、祖母と一緒に、
「死に向かってどう生きたいか」
を、しっかりと話し合い、
透析を勧める医師に反し、
腎臓内科をやめることにした。

その日は、
「よし、これから楽しく生きるぞ」と、
祖母と誓い合ったのであった。

【介護の日記】

詳しいことは、
これから、ブログにつづっていこうと
思うのだが、

その後泣く泣く、故郷の名古屋を
離れ、浜松市に引っ越して、
今春祖母が逝去するまで5年、
お世話したのだが、
介護日記を祖母と一緒に書いていた。

今日、それを見返し、
その時の思いや、苦しかったこと、
感動体験を鮮やかに思い出した。

そのなかに、とても印象的な言葉があった。
(どれも貴重な”介護する側の思い”であるが)

「人は理屈ではなく、
愛によって救われるのだ」
・・・それは、

毎日毎日、
医師、看護師、介護士、ケアマネ等に
指導や、介護の理屈を言われることが多かった
「たすけて 私はもうわかっている
限界なんですよ つかれた」と、こころから
思った。

そんな中、
そんな私の状態を「理解」し、
全面的に愛してくれた人が、たった一人いた。
涙があふれた。

はじめて、こころが安らいだ。
そのことに、当時、
こころから感謝したのだった。

これが、尊敬する伊勢隆一郎さんが説く、
「究極理解」だと、今思う。

【同じ立場にいる人の光になれるように】

介護日記を読み返すと、
本当に苦しかったことが思い出される。

「誰かに、
もっと相談したらよかった・・」という
自分のつぶやきも、小さく書かれていた
私は、今後助けになりたい。

介護というのは、本当に
きれいごとではない。

いろんな感情に出会い、
見たくない「私」を見せられる。
ひとりぼっちで泣いている
誰かのそばに、寄り添いたい。

そのためにも、
もっと力をつけて
この介護日記も少しづつ
記事にし、公開していきたい
と思う。

【体験すべてあなたに寄り添うための
光り輝く宝物】


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