こんにちは)^o^(
ルプティタンジュのmaaya です。
突然ですが、みなさまは、誰かのことを
「死ねばいいのに」と思ったこと、ありますでしょうか。
わたしはあります。
今日は、ちょっと自分の想い出話を書いてみます。
先日の名古屋でのK2講座運営の前日は、近隣の湖で花火大会がありました。
こどものころ 夏休みに浜松へ帰省した時の楽しみのひとつでした。。
強迫神経症という心の病気の母から距離を置けるだけで、夏休みはほっとした時間を過ごせました。
いっしょにいると、そのことばでどんどん、自分がだめな人間なんだと思えるような毎日でした。
そんなわたしを、祖母や曾祖父母はあたたかく迎え入れ、たくさんの
「受容」という愛をおしえてくれました。
しかし、11歳になるまで、母から心理的虐待をうけていたことは、だれにも言いませんでした。
はじめて祖母に打ち明けた時、祖母は泣きました。
「どうして、言わなかったの・・・」
浜松にいるときは、楽しくて、そのことを忘れていた、のがほんとのところで、子供らしい感覚でした。第二に、遠慮していた、こともあります。
病気になってしまった育ての親の祖母を見捨てられなくて、浜松に移り住んだここ数年。 親には勘当された決断でした。
意気揚々とやってきたものの
寝たきりや認知症の老人介護は、そんな美しいものじゃなく、自分のいやなところを、自分で確認し、自己嫌悪の毎日でした。
しかも友人知人はゼロです。
・夜間に冷蔵庫をあさる。(なまではたべられないものをたべる、料理酒をのむ)
・便をそこらじゅうにおとす、部屋にぬりつける
・失禁
・おなじことばかり言う
・夜間の大声
などなど
介護するなかで、追い詰められ、「はやく死ねばいいのにな」「わたしの人生最悪だ」「このひとのせいだ」
と思う日々。。
ここには書ききれない、くやしい出来事の数々です。
しかし
たくさんの喜怒哀楽のハードルを経て
「ゆるす」ことを知りました。
結局、すべてにいいわるい、は無いのです。
いいか わるいかではない すべてが必要な体験です。
「死ねばいいのに」
さえ、自然な感情で、いいわるいはない ということなのです。
すべての感情は、存在してもよい ということだったのですね。
すべては いつかのよきひのために、ある・・・
いまは、花火大会に 「祖母の母」のような気持ちでつれていき、
笑顔を見るたびに、この人をしあわせにしたい。ご先祖の思いに報いる生き方をする。
と決意するのでした。
「おばあちゃんがいたから、いまのわたしが 在る 」
結局
花火大会の夜は、祖母が夜中に大声をだして、ほとんど眠れず。おむつを替えて、なんとか
施設に送り出しました。
当日の名古屋は、ふらふらでしたが(笑)
今日在るすべてに感謝です。
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