「起業家だった」母のもとに
うまれおりた私でした。
絶望の中で子どもをうみおとし
病身で、主婦になるしか
なかった母と
昼間は二人暮らしの幼い頃。
3LDKのアパート
6畳の部屋で
母は自分の趣味と勉強をし、
幼い私は、となりの部屋で
テレビをみたり、ひとりで
寝ていました。
とにかく「子どもを生みたくない。
育てられない」
思いでいっぱいだった母は、
私にふれることはなかったです。
そして、そんな自分に
罪悪感をつのらせ、
よけいに部屋からでてこなかった
のでした。
母はヒステリーなので、いつ
怒り出すかわかりません
ある日、テレビをみていたら、
急に母が乱入してきました、
すごく怖い顔で電気とテレビを
消され、
3歳だったわたしはとにかく
「こわい・・・」と押し黙り、
まっくらになった部屋で、
しずかに眠りました。
そんな日々が続き、
いつしか「私はいないほうがいいんだ」
と思うようになり、
お寺や教会に行くとかならず、
「かみさま、うまれてきてごめんなさい。」
と、おわびしていました。
隣県にすむ祖母だけがたよりで、
ときどきむかえにきてくれるときは、
うれしくてたまりませんでした。
でも、また自宅に戻らされるときは、
声が枯れて、吐くまで泣きました。
「たのしかったことも、
なかった、と思えば
悲しくないかなあ。」それが
5歳くらいに思いついた案で
楽しいことのあとは
それを忘れてしまうために
気絶するように、ねむりました。
祖母の助けがあるなか、
がんばって生きていたのですが、
13歳になると、「限界」を
むかえました
もう、母とはいられない。
心底そう思い、家を出ました。
自営の父の事務所に寝泊まりし、
さみしかったのですが、
少しほっと、しました。
ヒステリーから逃れられる。
しかし長年たまってきた
人間不信が爆発し、
14歳の秋ごろから、学校に行けなくなりました。
そんな私をやはり祖母がかばってくれて、
祖母の家で、半年間、療養することに
なりました。
その間、メンタルクリニックに行ったり、
自分を好きになれるようにがんばって
「自己啓発」の本を読んだりしました。
自分が知りたくて、
占いもたくさん、しました。
そのなかで出あったのが、
「西洋占星術」でした。
ふと目が吸い寄せられた
大人の占い雑誌を、なんとなく
買ってきた中にあった特集。
「西洋占星術」。
おさないころから
星座や神話が好きだった私は
夢中になってよみました。
初めて見る、自分だけの魂の地図です。
すごい!!これはすごい!と
昼夜夢中になり読んでいました。
大人の雑誌の特集だったので
当時の私にはかなり
むずかしかったはずなのですが、
すっかり魅了されてしまい、
ついには自分の手で星の図をつくりだしました。
そこにはなんと・・・
・家族関係の試練があること
・人間関係の試練があること
などが書いてあり
それまでの自分の人生そのままでした。
それに加えて、
・いつか、人を助けるようなことと、
芸術的分野で仕事をするであろうこと
も示されていました。
「衝撃」
ただ、その一言でした。
いつか、私はきっと
「だいじょうぶ」になるんだ。
苦しい中でも、
そう思うことができました。
しかし、西洋占星術の知識がついてきて
自分の星を読み返せば読み返すほど、
今度は失望することばかりが
多くなってきました。
知れば知るほど、
自分の宿命図は、伝統的解釈では
「運が悪い」ものだったのです。
例えば、
・夫になる人は、とても年が離れていて、
冷酷な男性である
・あなた自身も、冷淡で非情である。
・生涯、苦難の道を歩む。
・体力もない。
「こんなに苦労してきたのに・・
その苦労はいつか報われると思っていたのに。
この先もこれからもいいことないの?
それは悲しすぎる」
そう思い、助けてほしい!と
まだ知らない可能性にすがるような思いで、
占星術について調べ、
自分の星を読みつづけました。
雑誌の公開鑑定にも、応募しました。
当時有名だった方の鑑定なので、期待していましたが、
そこでも、満足いく回答は得られず。
1万円を払い、手紙鑑定を受けたこともあります。
そのときに持っていたとても苦しい悩み、
「人が怖くて、
人と何をはなせばいいのかわからない」
に対して、返ってきた答え。
「あなたは冷たい人です。
何を話せばいいのかという
質問自体が、素直ではないのです。」
そのとき私は、
自分が何を感じているのかすら、
わからなくなるくらいに
弱っていました。
なのに、
そんな回答をもらい、
とどめを刺された、と思いました。
こうした体験から、占い師が
嫌いになってしまいました。
プロを名乗る人でもあてにはならない。
自分で希望を見つけ出そう。
そうあらためて決心し、
占星術関連の本を
たくさん購入して
読んでいきました。
そして、少しづつ、
「いい、悪い」
「吉凶」で、判断しないような
占星術にも出会っていきました。
自分の星のことばかりでなく
まわりの家族のことも
しらべました。
家族がなぜ、
「苦しかったのか」
「本当は、どう生きたかったのか」
が、わかってきました。
また、自分の夢、やりたいことを考える時も
出生星図という星の地図は役にたちました。
自分の適性を確認できる道具なので
夢に踏み出す時も、自信をもって
行動することができました。
さらに、のちに結婚に繋がる相手との
ご縁も、星の地図を重ねることで
推測できてしまいました。
自分の人生を少しでも
よりよいものに変えていくために
私は星を読む力を磨き続けたのです。
するとある日、ある信頼している先生から
「あなた、星占いを人にやりなさい。」
といわれました。
「そんな、とんでもないです」
と私は即答してしまいました。
占い師に、嫌なイメージしかなかったので、
占い師になろうなんて、全く考えていなかったし
独学で資格もないので、
人にしてさしあげるような
ものだとは全く思っていませんでした。
ところが、ふとしたきっかけで
友人に頼まれたときに
思い切ってやってみてあげたところ
どんよりとしていた友人の目が
見る間にきらきらとかがやきだしました。
セッションの終わりまでに、彼女は
「わたしはそうだ!そのとおりだ!夢にむかう!!」
と劇的な変化をみせてくれました。
私はそのおかげで、自分の西洋占星術でも
人のお役に立つのかもしれない、
と思い直すようになりました。
たしかに、私の星図では
占星術を暗示する星が天頂高くかがやいているのです。
それからしばらく、紆余曲折をへて、
私は多くの方の「宝の地図」を
見せていただくようになりました。
「良くない星ばかり」の私から見ると、みなさん
とても良い星をもっている方々ばかり。
それを知らないで生きていたのを、
気づいていただくことで生まれる感動体験・・
「私って素晴らしい!」
それに、日々感動しています。
「夢ができたよ」
「自分を認められるようになった」
「どんな人も価値があるんだね」
「夫との相性を知って、自信がもてた」
「この命を大切にしたい」
「子どもとの縁に感謝したい」
・・・そういった喜びの声が、多数寄せられました。
誰かと同じにならなくていい。
多様な生き方がある。
起業してもいい
従業員だっていい
結婚してもいいし
独身もいい
夢を何だって叶えていい。
その、自分だけの決断ではやや
不確かな
「いい??」を
「いいんだ!!」に変える。
つまり、確信と自信に変えるのが
「西洋占星術」の、
あなただけの 魂の地図
あなたは、
自分の いま に
「いい!!」と言えますか。
「言えない・・」あなた
でも
「いい!!!」って言いたい
そんなあなたを
あなたの夢を、
私は応援させていただきたいのです。
占星術とは、
暗闇を照らすひかりのようなもの
人生という、航海を
助けてくれる、灯台ともいえます
あなたの星を
私にみせてくださいね
光り輝くように、
星のスイッチを、そっと押して
さしあげます。
略歴
MAAYA(マーヤ)
愛知県名古屋市出身。
旧姓の粟田(あわた)家は明治維新まで
1200年ほど熱田神宮に
代々世襲制で仕えた旧神官である。
心理学、コーチング、
社会福祉相談援助技術、
ヒーリング(癒し)
の知識をもとにした、
占星学コンサルタント。
占星術との出会いは、
対人恐怖症にかかっていた14歳の時。
独学で学び、
それを生きる指針にしながら、
人生の難局を乗り切ってきた。
母は、成功した
女性起業家・
ギタリスト志望であったが、
病気と結婚により、
夢をあきらめていた。
そんな母の遺志を継いで、
夢を持ちながらも
諦め生きる女性たちの
力になりたいと、
2012年に活動開始を決意する。
現在は、健全な食、性、日本の歴史
を通して日本人として誇りを取り戻す
活動をしながら、
占星術をベースとした
心理占星術セラピーを行っている。
2016年2月より、
愛知県額田郡幸田町
JR幸田駅前銀座にて、
笑顔と元氣の
ハーブ&お野菜カフェ
星の王子さま
を、夫婦でオープン。
2019年4月21日、
愛知県蒲郡市竹島町に移転
『星の王子さま竹島ハウス』をオープン。
2023年浜松市引佐町の築200年の古民家へ移住。
「星の王子さま しずたまの家」を開設予定。