Maayaです、
信じる、ということは
どういうことかとふと
書いてみたくなった、

他人から、
「あなたなら大丈夫!」
「きっとできるよ」
と、言われることほど
心強くうれしいことはない。

私は、10代のころ、
親が病気だったり、
人がこわくって学校に行けなかったり、
家が火事になったりして
毎日死んだような目で暮らしていた

とくにいじめられた
わけでもなく、とにかく
人がこわくって、学校に
行けなくなったときに、
両親、兄、父方の親戚たちは
私を責めた。

そして、
「もうあの子はだめだね。」
と、ささやかれていた。

兄も、事情を聴かずこういった、
「俺は、学校でいじめられたときに
なぐられても学校へ行ったぞ!」

・・・私は、黙っていた。
言ってもきっとわかってもらえないな。

そんな時に
たった一人。
私を信じた人がいた、それが
母方の祖母だった、
「あの子は大丈夫。ちょっと
私の家で休めばきっと、学校へ行けるようになる。」
と、信じて疑わなかったのだ

祖母は、困惑する父や、
まだ生きていたひいおばあさんの反対を
生まれて初めて押し切って
「どうかあの子を引き取らせてください。」
と頭を下げた

祖母は従順で、
誰かの反対を押し切ることなど
それまでの人生では一度もなかった。

かくして私は、
名古屋から浜松の祖母の家に
引き取られた、14歳だった。

私は祖母の想いに絶対に報いようと
思った。
家ではちゃんと毎日勉強した、
その傍ら、祖母たちの愛で心を
癒していった

半年後私は立ち上がった。
「おばあちゃん。私はこのままでは
いけないと思うから。大学も
行きたいし、将来を捨てたくない。
名古屋に帰る。」と言った。

誰も私を信じていなかったが、
祖母が信じた通り、
私は生まれ変わったように学校へ
行き、公立高校を受験し、合格し
大学も行った。

あのときの祖母の
「きっと大丈夫」という言葉を
忘れはしない。

だから私も、
目の前のお客さんにはこう言う。
「あなたは素晴らしい。きっと、
大丈夫。」

信じるということは、
その人が持つ最高の可能性を
見出して信じることだと
わたし自身は思っている。

「あなたを信じている」
というときに、
いつの間にか、
自分都合で、「信じている」と
言うことがあるので注意だ。

信じているというのは
相手の中にある可能性を
信じることで、
自分の理想を相手が実現してくれるって
ことを「信じる」等というのは
まったく違っていると思う

これは、親が子に期待するときに
よくあることで、注意です。

長くなりましたが、
こんな個人的な思い出と、
26歳からいままで出逢ってきた
偉人の言葉をこれから少しづつ
店のメルマガで紹介しようって
思っています

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