私は、幼いころから、

ある声をいつも、聴いていた。

 

その声は、ことあるごとに出てきて、

いつもばっさりと、真実を伝えてくれるのだ。

 

しかし、それは一方では辛いことであった。

その声が聞こえるがゆえに、

感情的になることができなかった。

 

その声は、

淡々と、理性的に、

物事の真実を伝えてくる。

 

たとえば、

親から虐待されたとき

 

友達からいじめられるとき

 

絶望に打ちひしがれたとき全般。

 

 

「この出来事には、こういう

意味があるんです。

だから、立ち上がりましょう。」

 

って。

そうするともう泣けない。

 

 

あともうひとつ。

私には、人の思っていることを

当てることができる特性があった。

 

それはまた、辛いことだった。

 

その2つから、

私はいつの間にか泣けなくなった。

怒れなくなった。

発狂することが無くなった。

子どものころ、死んだような子どもに

見えたと思う。

 

感情を無くしていたから。

 

感情をなくすと、

過酷な環境でも生きやすくなる。

 

理性でいつも、感情を抑えて。

 

 

しかしながら、私は、

昨日出逢った、ショックな出来事で、

自分の方向転換を迫られた。

 

いつもはしなかった、友達に

弱音を吐くという行為を数名にした。

これは、占星術でみて、私の大きな課題

「人を頼ろうとしない」事に対する、

挑戦でもあった。

 

そうしたら、全員が親身になってくれて、

ある人は一緒に泣いてくれた。

「そんなこと、悲しくないわけが

ないじゃない。」と、

 

感情を抑えようとした私にそう、

言ってくれた。

 

涙があふれた。

 

私は、ずっと、素直になれなかった。

その声が聞こえるから、というのもあるが、

 

過酷な環境を小さな体で生き抜くために、

素直な子供の心を捨てる、

という術を身に着けていたのだった。

 

それを、今日初めて知った。

思い知った。

 

私は、もっと、素直に、

目の前の出来事に対して、

喜怒哀楽を表現したほうがよかったのだって。

 

 

最愛の人が死んだ時も、

道理を重んじて、喪主だったこともあり、

極力泣かないようにし、

周りの人には、

「いやー、よくやったのでね、

後悔はしてませんよ!」って笑って見せた。

 

 

みんなは、安心してくれたけど、

私の心は、ずっと凍り付いて泣いていたのだった。

 

 

だから、私は

もうやめようって思う。

素直になろうって思う。

 

喜怒哀楽に素直に。

 

たとえそれがかっこ悪くても。

 

感情を出さないと、

結局は傷が長引く。

 

目の前に出てくる出来事にもっと

感謝して、楽しんで、

怒りたければ怒って、

泣いて。

 

もっともっと素直に

生きてみたい。

 

もっと、素直に

人生を生きていく!

Mちゃん、よっちゃん、かっちゃん、

あやちゃん、なおみさん 

そして、りゅうせいさん、ほんとにありがとう!!!!

 

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